沖縄便り

S.S.

首里城火災から5カ月が過ぎ、焼失した正殿や北殿、南殿の片付けが始まり6ヶ年をかけて再建する計画との事だ。県民の間からはやけに素早かった下心が見え隠れする政府主導ではなく、県民の思いに沿った再建を、との声が強い。

沖縄戦からの復興のシンボルとして、又誇りある沖縄文化の宝物としての首里城が焼け落ちる姿は本当に衝撃的で悲しかった。その一方で琉球王国や薩摩の圧政によって過酷な人頭税や抑圧の歴史を持つ先島諸島の人びとにとっては首里城は抑圧者の象徴という面がある事も忘れてはならないと思う。

復興急ぐ首里城
首里城建物遠景
首里城、工事現場
第32司令部壕跡

首里城の下に全長1kmにも及ぶ日本軍の司令部壕が学徒や県民を動員して作られた。米軍の攻撃が激しくなり、本土決戦を遅らせる為、沖縄を「捨て石」にした持久作戦が取られ南部へ撤退し住民を巻き込んだ悲惨な戦になった。首里城や町は米軍により草木一本も残らないほど焼き払われた。
壕の跡は今はあまり訪れる人も無く樹々の間にひっそりと残っている。

第32司令部壕跡