米軍上瀬谷通信施設跡地の賢い利用を願う

旭区在住 横浜市民 古野

今回、瀬谷区にあった米軍の通信施設(240ha)が返還されました。その45%は民有地で、45%が国有地、残りは道路などの市有地だとのことです。私は隣接する旭区に住んでいますが、施設の一部は旭区にも食い込んでいます。この問題は他人事とは思えません。

旭区に引っ越してきた35年ほど前、瀬谷のあちこちをよく歩きまわりました。気に入っていたのは、瀬谷の古道といわれる道で、相鉄線瀬谷駅の北側、米軍通信基地方面に向かう横道の途中にそれはありました。車2台がすれ違えるかどうかの細い道ですが、江戸時代からのケヤキの並木があるため、昔の人と一緒に歩いているような錯覚を持ちました。先日、当時から時間も経っているので、「古道」をもう一度歩きに行ってみました。ケヤキは数が減り、記憶にあるよりずっと太い幹になっていましたが、ほんの数分でもなつかしく心静まるような感じで歩くことができました。

昔の瀬谷は養蚕農家が多く、明治期は製糸業が盛んで、職工が200人を超える製糸場もあったそうです。一時神奈川県庁が瀬谷に置かれたのも、こうした背景があったからでしょうか。「古道」近くにその門が残っているとのことです。「古道」の近くを流れる境川という、武蔵と相模の境といわれる川(今は大和市と瀬谷区の境)沿いでは、新しい世界の情報を受けとめ、考える民が多かったのでしょう。明治になり、地租改正が政府から発せられたとき、反対の意志を上級裁判所に数年間訴え続けたことが「義民建功の碑」(現在、徳善寺内)にあります。

製糸業が衰退した後は、住宅街として開発され、相鉄線の瀬谷駅をはさんだ南側には団地も建てられましたが、瀬谷区全体では大型の建築物は少なく、緑を失わない、閑静さの残る住宅街という感じのする所です。

今回、返還された240haは、坂の多い横浜には珍しく 真っ平な空き地です。横浜市はこの空き地の国有地だった部分に「テーマパークや倉庫街」を作り、「賑わいのある観光ゾーン」にしたいと考えているようです。

しかしそれは瀬谷に対して上滑りで浅はかな発想に思えます。一時的な金銭収入にはなっても、その場所が記憶に残る役割を果たす場所になるでしょうか。将来も長く役立つような、造っておいてよかったと思えるところにしたいものです。

そこで、今後とも世界の取り組みが必要な感染症の研究所・大学・療養施設、検査・隔離・情報交換の総合センターを造るというのはどうでしょうか。
流行時には大量収容が可能な簡易組み立て式大ホールを備える一方、病棟・大学は、そこに居るだけで呼吸器疾患が治ってしまいそうな深い森に囲まれています。研究所では世界の諸国とともにウィルス研究を進め、予防薬・治療薬の開発をおこない、看護師・技師の養成所では要請があれば外国人研修生も受け入れます。さらに、今回は報道に接して恐怖さえ覚えた医療機関の医師・看護師不足、機器・器具の不足、財政的逼迫状況などの実態をAIを駆使して完全に掌握・統括し、少なくとも近隣都県で相互補助し合える体制を作ります。他に家庭用消毒剤から子ども用マスク1個にいたるまで、どこに行けば購入できるかという情報も即座に発信できるシステムを備えます。

空き地利用法として、娯楽施設やにぎやかさが売りの繁華街は、瀬谷の風土・風情にはそぐわないものです。深く考え、より多くの人のために貢献する活動の発信地にしたいと思っています。

米軍上瀬谷通信施設跡地と周辺の航空写真

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Naval_Support_Facility_Kamiseya_Aerial_photograph.1983.jpg
出典: ウィキペディア

瀬谷区と旭区にまたがる跡地

出典: https://aonavi.net/post-4554/3

民有地、市有地、国有地
出典横浜市のウェブサイト