反知性主義

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吉岡正子

往々にして他国の人々の行動が理解できないということがある。今の日本にとって一番なじみのあるアメリカの人々の行動でさえいくら説明されても理解できないことがある。自由な銃の所持などいくら説明されても「ああ、なるほど」というわけにはいかない。

先の大統領選で決着がついてしまったことではあるが、多くの人々が熱狂的にトランプを支持するその理由がわからなかった。一応の理解では “グローバル化についていけない層の人々に対して初めてコミットしたリーダーである” ということだったが、その熱狂的な激しさが腑に落ちなかった。反知性主義についての文章を先日読み、やっと感覚的な理解ができたような気がした。

17世紀の入植者たちがもっていたピューリタニズムの知性主義が関係している。反知性主義の本質は知性そのものに対する反感ではなく、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感、知的な特権階級に対する反感である。イギリス国教会から派生した宗教革命を担った清教徒の一部がアメリカにわたり、アングロアメリカの近代精神、民主主義、人権意識、自立思想などを形成し、“神の前では学のあるものもないものも等しく尊いひとりの人格である” との思想をもっていた。つまり宗教と強く結びついており、無意識の血肉となっているこれらの感覚を持っていて、ラストベルトのような地方に住み、グローバル化についていけない層の人々の不満、メディアをも含めた都市部のエリート層に対する不満に、トランプが初めてコミットした。国のリーダーであるエスタブリッシュメントから無視され続けてきたが、やっと自分たちの話を聞いてくれるリーダーが出てきたと思っている。

政治的な活動の表れかと思っていたら実は宗教に深く関係していた。あまり宗教的とは言えない日本人の感覚では及びもつかないことだったのだ。