フィールドワーク: 川崎の在日コリアンの生活史をたどり共生の歴史を学ぶ

この記事は約2分で読めます。

猪股美恵

「川崎の在日コリアンの生活史をたどり共生の歴史を学ぶ」フィールドワークに参加しました。神奈川県内でも川崎市外の皆様にとっては馴染みの薄い地の歴史ですが、川崎市にとっては歴史であり、財産でもあります。

場所は川崎市南部の東京湾に近い桜本・池上というところです。戦前から戦後にかけて渡日した在日コリアンが差別に抗いながら暮らしてきた街です。戦後の一時期にはパスポートを携え働きに来たウチナーンチュ、南米からの日系人(1990年入管法改正により)、アジアや日本各地から移住してきた労働者など多様なルーツを持つ人びとが、不公正や理不尽にさらされながらも額に汗して働き、手を取り合い力いっぱい生きてきた街です。世の中からはじきとばされた人たちがなぜこの川崎に、桜本に集まってきたのか。フィールドワーク初めに問われていたことが、このまちを歩きながら、少しわかったような気がします。みんなが助け合わなければ生きていけなかったとき、ここには生活の根幹が集まっていた。ここに来ればウチナンチューは朝鮮の人から豚を仕入れることができる。南米の人は安く食材が手に入る、きつい仕事だけれど職にもつける。どぶろくも手に入った。

朝鮮戦争の時に朝鮮学校の閉鎖令が出されましたが、桜本では在日コリアンの地域に根ざした活動が力をつけていたことにより、閉鎖せずに日本学校の分校として存続することができたそうです。

池上町は東電と日本鋼管と個人と三者が所有する土地です。住環境は沼地の劣悪な土地です。雨が降るたびに水浸しになり、アヒルの流れと呼んでいました。ここには1945年に丸裸になって帰国した日本人なども住みました。沼地を埋めて家を建てるとすぐ税務署がやってきたそうです。今では再開発なども言われ、立ち退きを迫られています。

1988年には公設民営の川崎市ふれあい館が設置され、多様な人たちと共に生きる歩みが桜本で本格的に始まりました。ふれあい館では字が書けない・読めない1世のための識字学級が行われ、トラジの会(1998年設立の交流クラブ)が、週1回の会食会を開くなど交流の拠点となっています。

2015年の在日ハルモニ(高齢者)の戦争反対デモがきっかけで、その後は街が差別主義者から狙われ、ヘイトスピーチ根絶活動が活発になりました。

私たちが案内されながら歩いた街はかつての熱気と息吹が影を潜め、ホルモン焼きの煙が町中漂う姿も朝鮮や南米、沖縄の商材を並べる店もほとんどなくなり住宅街のようになっていました。ただ気になるのは、商店の跡地の多くに貧困ビジネスと言われている6畳一間のアパートが建てられている事です。

変わりゆくまちの中では、3世4世たちが自分のルーツを探す活動を続けています。