「滝山病院事件」に直面して思うこと – をめぐって

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編集部

昨日掲載した「滝山病院事件」に直面して思うことをめぐって編集部内でも議論がまきおこりました。

🐱この文章を寄稿してくださったK・Tさんは、この25年間、精神障碍者の方のグループホームや相談所、フリースペース、自立支援などの施設を作り、運営してきた方です。「許されない」「悔しい」とおっしゃる気持ちは、よく分かりますね。

🐶「鍵のかかった精神病院はいらない」と言われ、閉鎖病棟から開放病棟になった病院は少なからずあると思うのですが、コロナ下の実態を見ると、まだ精神病院の中に鍵の付いた病棟が存在しているようですよ。

イタリアの「脱・精神病院化」

🐱イタリアでいち早く「精神病院はいらない」という運動が起こったことはよく知られています。1978年に新精神保健法ができて、県立精神病院の全廃が決まり、1999年3月にはイタリアから県立精神病院が消えたと保健大臣が宣言しました。日本は精神病棟ベッドの9割が私立ですが、イタリアでは大半が県立なので、これは大きいことなのです。

🐶精神病院がなくなったことはいいことだと思うけど、それだけではすまないでしょう。地域では、どんな準備がされていたのでしょう?

🐱私はここにある『精神病院はいらない!』は読んでいないんですが、大熊一夫さんが、『世界』の2016年1月号で「精神病院にしがみつく日本、司法精神病院も捨てたイタリア」という記事で紹介しています。イタリアのトリエステでは県立精神病院を廃止するとき、街中に24時間オープン・365日無休の地域精神保健センターを用意した。濃厚なコミュニケーション、対等な人間関係、信頼感で、強制が全くないわけではないが、ほとんどは人手と巧みな会話術で乗り切る、とありますね。

🐶う~ん、頭では理解できるけれど、実際にそんなにうまくいくのか…

🐱日本の精神科医の多くは、異常な言動がいつ始まって周囲がいかに困惑したかを根掘り葉掘りして聞き出し、病名をカルテに記載し、抗精神病薬を処方し、ことによると精神病棟へ送り込む。こういった日本ではお定まりの診断・治療プロセスを、トリエステではとりあえずわきに置く。病気にはスポットをあてない。患者の危機的状況を招いた社会的な問題、経済的な問題、人間関係の問題の解決に尽力するのだと、大熊一夫さんは紹介しています。

🐶なるほど。手法が全く違うところに注意すべきですね。

日本では 認知症の永久下宿化

🐱同じ記事で大熊一夫さんは、日本の精神病院のいくすえを「認知症の永久下宿化」と名付けています。当時、日本の厚労省は、国から地方自治体に一般病棟のベッド数の削減を数まであげて命じていました。ところが精神病院のベッド数だけは増やすことを認めたのです。それは、これから膨大に増える認知症患者の受け入れ先だから、ということでした。
そういえば「口の利き方に気をつけろよ」「何で、ものの頼み方がわかんねえんだよ!」という滝山病院の職員の言葉をどこかで聞いたような気がします。高齢者介護施設で、ベランダから職員に突き落とされた人は、こんな言葉を浴びせかけられていたのではないでしょうか。